slow life

こんな風に生きていけたらいいなぁ、と思います。

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「昔はみんな必要なだけ働いて、余ったら人にやったものだ。巡礼や物乞いがくればパンを裂き、葡萄酒を分け与えた。だが、必要以上には働かなかった。生活に要るものだけで満足した。だから時間もたっぷりあった。親切な気持ちも残っていた。

現代(いま)は違う。みんなが無茶苦茶に働く。必要か必要でないか分からぬまま、精根尽き果てるまで働く。その挙句、金銭(かね)を手に入れる。それはパンでもなく、布地でもない。食べられもせぬ単なる紙切れである。紙切れに書かれた数字である。

この数字はいくらでも増えてゆく。数字が数字を生みだしてさえいく。しかし...人間の一生なんて限定(きま)っている。人間が一日に食べられるものだってきまっている。一日分のパンと肉と葡萄酒と、それだけあればいいじゃないか。それだけ手に入れるためだけ働き、あとは鳥の囀りを聞いたり、友達とお喋りしたり、愛し合ったり、海を見ていたりすべきじゃないだろうか。

昔は、働けば、その報酬にパンや葡萄酒や布地で支払ったものだ。だから、どれだけ働けばそれでいいか、分かったのだ。現代(いま)は金銭(かね)だ。つまり数字さ。数字には限界(きまり)ってものがない。これでいいっていう量がきまっていないんだ。だから、みんな狂気のように数字を増やそうとする。何でもかんでも数字に変えてしまう。

でもなあ...人間の一生がきまっていて、一日に食べるものもきまっているなら、それ以上働くなんてばかげていやしないか。だって生きるってことは楽しむってことだもの...。」 

辻邦生「国境の白い山」