家内の実家は駅4つ西で30分もあれば行ける場所ですが、僕の実家は2時間半ほどかかりますので、年2回(盆と正月)帰省ぺースが定着しています。今回は長女(受験生)のオープンキャンパスに家内が同行し、長男は、たとえ連れて行ったところで、引き籠りの件と所かまわずゲームする件で祖父母の顰蹙を買うに違いないので、僕一人で帰省しました。
・父(81歳):
若い頃から痔を患っておりボラギノールを常用していましたが、定年退職して数年でいよいよヤバい状態に陥ったそうで、和歌山に住む義弟が車に乗って飛んできてくれ、日赤病院に担ぎ込んで入院させ、肛門の2/3?3/4?を切るオペを受けました。まあそれで宿痾の痔と決別出来てメデタシメデタシと僕にも周囲の者にも見えたのでしたが、オペ直後の気の弱りようは尋常でなく、一時帰宅で僕が呼ばれた時には実家の権利書を長男の僕に見せてくれる始末でした(遺言かよ?!)。オペ前の検査で前立腺ガンのマーカー(PSA)値が異様に高かったのは分かってそうですが、とにかく痔の治療が最優先ということで、前立腺のほうはその後様子を見て、ということにしたらしいです。
父は九州男児で、僕には手も足も出てくる怖い父でしたが、その割には神経質で怖がり。オペは痔でこりごりだったのでしょう、前立腺ガンをオペで切り取るよりも薬で進行を抑える方法を選んだのでした。それ以降、毎月病院に通って検査を受け、3か月に1回は注射を受ける、という生活を10年あまり続けて今に至ります(少々見栄っ張りでもあり、弱っている姿を見られるのが嫌なのでしょう、ずっとウチに引き籠っています。歩かないので足腰弱ってます)(ちなみに父の兄も、父の父も、晩年は引き籠っていたそうです。僕は今のところそうではないですが、長男が引き籠っています。引き籠り家系なのでしょうか?)。
で今月の注射の際、次回以降の注射が無く(コロナ禍で生産・供給が滞っているらしい)オペを勧められ、激怒して帰って来たそうです。これを機にケイシー療法に切り替えてみてはどうかな?と思いましたが、ややこしくなりそうなので言いませんでした。
・母(80歳):
2年ほど前に近所のスーパーが閉店して古着屋になってしまい、徒歩10分圏内に食料品店が無い状態になってしまったのですが、代りに(年寄りの足で)徒歩30分くらいの場所にある酒類量販店が(加工食品が棚の大半を占め、野菜や魚は貧弱ですが)食料品を扱い始めたそうで、辛うじて食材調達は出来ていたらしいです。ところが2か月ほど前から坐骨神経痛が始まり、ウチの中の移動だけでも難儀しているくらいで、そこまで歩いて行くことなど全然無理。どうしているかというと、月2回の皮工芸教室で会う父の会社の後輩の奥さん(50年来の知り合い)が、3日に一度くらい車で買い物に行くついでに母を乗せて行ってくれるんだそうです。
持つべきものは(役に立たない旦那よりも)友達ですね。
で、坐骨神経痛の対応。皮工芸教室の先生が「腰痛を治して貰った。あそこイイですよ」と教えてくれたそうで、その整骨院に行きたい気持ちはある模様でした。院の名前はメモしていましたが住所が不明でしたので、僕がスマホで検索して、カレンダーの裏紙に地図を描きました。
他にも、固定電話が(受信出来るが)発信出来ない状態になっていたそうで(去年の11月から!)。
(父は工業高校電気科卒業なので、その気になればこの程度の障害は対処出来ると思うのですが)。
僕がコールセンターに連絡して電話機の設定を変更し、発信可能にしました。
・僕(54歳):
年を取るって、出来ていたことが出来なくなるってことかも・・・
と思った一日でした。
暗い話で申し訳ございませんでした。
私の両親と姉は他界してますので、肉親の事では、悩みは有りません。自分のことだけ思案してたら良いと言うのは、幸せなのですね。59才の私は、黒田さんよりも不都合な事が多々あるのですが、それを払拭する術もあるので、まあ良しとします。
それにしても、行動力と想像力を備えた黒田さんが居て、ご両親は心強いと思います。